「今日も自分のために生きる」

令和6年2月のブログ

「今日も自分のために生きる」

突然ですが、皆さんは誰のために生きていますか?

日本ですと、「世のため人のため」という言葉があるように、自分のことは二の次にしてまでも、誰かのために何かをすることが美徳とされています。まあ、最近はちょっと様子が違ってきているかもしれませんが。

ところで、『今日、誰のために生きる?』という本をご存じですか?

僕も「きっと安田さんは好きよ」と教えて頂いたんですけどね、その下さった方が思った以上に僕には突き刺さりました!

この本はSHOUGENさんというペンキ画家が、ある日たまたま雑貨屋さんで見た一枚のアフリカの絵に衝撃を受け、会社を辞めて単身アフリカのタンザニアに行き、絵を学びながら、その村の人々との交流を書いた実話なんです。

もちろん、それだけでも十分に面白いんですけどね、この本の面白さは全然それだけじゃなくて、その村の村長さんがなんと昔の日本人の教えを忠実に守り、村のみんなが実践しているというんです!どういうことかというと、その村長さんの家系は代々シャーマンで、その村長さんのおじいさんは夢の中で日本人が色々な大切なことを教えてくれたらしく、それを村のみんなに話し、それ以来ずっとそのブンジュ村ではその教えを守ってきたというんです!

そのおじいさんどころか、村長さんさえも外国人、ましてや日本人には会ったことがないのにですよ。夢に出てきた日本人は穴を掘ってそこに屋根をかけて家とし、土器を作っていたということなので、おそらく縄文人であろうとSHOUGENさんは思ったようです。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、日本の縄文時代というのは世界的にも他に類を見ない時代なんだそうです。たとえば狩猟採集の生活をしているにもかかわらず定住している点や、さらには殺人にいたるような大きな争いがなかったという点です。それが今から17,000年位前から、3,000年前くらいまでの1万数千年続きました。

明治以降の日本では1868年に国内では戊辰戦争があったり、対外的には1894年の日清戦争から、日露戦争、さらに世界大戦が2度ありますから、たった156年の間に合計5度も戦争をしていることになります。それを考えたら1万数千年の間、大きな戦いがなかったという時代は本当に奇跡的じゃないですか!

ではなぜ、それほど長い間大きな争いが無かったかと言えば、それは心が満たされていたからではないでしょうか?つまり、心にゆとりがあったのです!

SHOUGENさんはブンジュ村のみんなにいつも「SHOUGEN、空を見て!」と言われていたそうです。「空を見上げることができる人は心にゆとりがある人」「心にゆとりを持つためには自分の心を満たしてあげなさい」つまり「自分のために生きなさい」と。

「SHOUGENはいつも作業のことでいっぱいで、効率ばかりを求めていて、ここに心がない人」だと見られていたんだそうです。そして「自分の心を満たさない限り、本当の意味で誰かの力になれない。満たされていない人が、誰かのために何かしようとした時、必ずトラブルが起きる」ということを教えられたそうです。

僕も思い当たることばかりで、胸にグッサグッサきました。そんなつもりではなくても、僕もブンジュ村に行ったら「ここにいない人」とかって言われちゃうんだろうな。そうそう、僕は10数年前からいくつかの武術を学び始めたのですが、そこでも「今、刹那を感じて!」とか「未来に心を持っていかれないで!」とか「気持ちが先に行っちゃってる」とか言われまくってるんです。で、考えたんです。じゃあ、その縄文人たちはどんな心持ちで生活していたんだろうと。

きっと縄文時代に生きていた人々は、太陽、水、山、植物、動物など身の回りにあるものは全て天の恵みであって、自分たちだけのものではないと当たり前に感じていたんでしょうね。だから、必要以上の食べ物を確保したり、他の人の分まで奪ったりすることもなく、だから争いごとも大きくならなかったんだろうと思います。

ここ数年巷でよく見聞きする”SDGs”や”エコ”という類の言葉であらわされているように、自然環境を守りましょうという動きが活発になってきており、その動き自体は悪いとはいいませんが、でも、これらと縄文人の行いは根本的に全く違うところから生まれているような気がします。そこは理屈やエビデンスがどうこうとかそんなことは一切入る余地すらない域であって、それは”知”ではなく、”血”として受け継がれているレベルのこと。そうそう、ブンジュ村の村長さんもSHOUGENさんにこう言ったそうです。「お前たちに日本人にはその時代の人々のDNAが受け継がれている。それを失わないようにしてくれ。地球を救えるのはお前たちなんだ」と。

こ、これは責任重大すぎる‼

いきなり地球を救うことはできないけど、自分のために生き、自分の心を満たし、心にゆとりを持つことが、人間が自然界の掟の中で生きていくための原点であるなら、そのくらいはちょっと気にしてやってみてもいいんじゃないですかね?

そうそう、「情けは人のためならず」という言葉は皆さんも一度は耳にしたことはあると思いますが、「情けをかけるとその人のためにならない」という間違った解釈をしている人が半分位いらっしゃるという調べもあるみたいですね。

実はこの言葉、新渡戸稲造の言葉なんだそうです。

続きを知ってますか?

 

 施せし情けは人の為ならず

 おのがこゝろの慰めと知れ

 我れ人にかけし恵は忘れても

 ひとの恩をば長く忘れるな

ということは、人に施すことで自分の心を慰め、満たしてあげられるということですね!

何かを得たり、得をしたりすることでもちろん嬉しいこともあるのは間違いないですが、それ以上に自分の心が慰められる、満たされるというのは目の前の得や成功、安全、安心、便利、効率、勝利などではないところにあることを教えているのではないでしょうか?

僕のインターネットラジオ番組

『道草、寄り道、遠回り』

も、そのあたりがテーマになってます!

毎週日曜 14:30~15:00で放送されていますので、もしよろしければお聴き流し下さい。

また、このホームページ内でも過去に放送された分をアーカイブしてありますので、そちらもご利用ください!

まあ、いつも気ままに好きなようにやらせてもらっている僕の場合は

「安田がこれ以上自分のために生きるって言ったら、どんだけわがままになるんか?」と突っ込まれそうですが、、、。

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