私の高校時代の担任の先生が、学生時代に教授に言われた言葉だそうです。 それは野山を駆け回ることでも、何かの練習に打ち込むもよし、気になった事を調べるでも何でもいいんです。“メシを食うのも忘れて夢中に”なれるものなら。“メシを食う”と言うことは、微生物も含めた生物の最も根源的な生命維持活動ですから、言い換えれば「生きることを忘れるほど没頭できないものは遊びではない」と言うことになります。そうなった時にこそ“創発”が生まれます。教わった通りにやって、期待されている結果に至るのももちろん大事ですが、我々は“創発”つまり、期待・予想していた結果ではない効果や変化が生まれるようなそのような場を作っていきたいと願い、この法人を立ち上げました。
話は変わりますが、今の時代はIT技術の発展のスピードがものすごく早く、人工知能AIが論文を書く時代になってきました。18世紀のヨーロッパで蒸気機関が発明され、エネルギー革命が起きた時代と同じくらいの転換期にあると考えています。例えば、それまではヨーロッパでは存在さえ知られていなかった北アメリカ大陸が、ここ数十年間は世界の中心になっているように、今のこの時代も今後どのように変化していくのかは誰にも分からないし、逆説的に言えば、世の中の常識や価値観は間違いなく大転換を起こすということだけは分かるということです。
このような、世の中の前提が根底からひっくり返る可能性が高い時代を、これから生きていかねばならない今の子どもたち。文科省の調べでは、令和3年度の小中高の不登校児童生徒数は、なんと過去最高の約30万人(実際にはもっと多いと言われてる)。30年前の約5倍です。現在の日本の教育でも採用し続けている「規格品(人)大量生産型教育システム」(ある一定のレベルの生徒を少ない教師で多人数生み出すために、生徒を学年やクラスに分けて教えるというシステム)は間違いなく戦後日本の社会で大きな成果を上げたと言えます。しかし、このシステムは約200年前にヨーロッパでその原型が生まれたものであって、この不登校の人数を見ただけでも、このシステムはすでに時代の変化に対応できなくなっているのは明らかではないでしょうか。
もちろん、30年くらい前から「個性」、最近は「多様性」という概念が重要視されるようになり、さま ざまな分野で変化や改革が見られるようになってきました。教育の分野でも文科省が不登校特例校を設置したり、私立の単位制高校が増えたり「教育の多様性」は一歩ずつ進んでいるように見えます。しかしながら、どの政策もあくまでもシステム上の多様性でしかなく、根本的な“学びの多様性”には至らないと感じています。いや、多様性どころか逆行していると言わざるを得ません。なぜならば学びの現場は三次元から二次元へと移行しているからです。IT技術の発展により、タブレット端末の利用が広がることで、リアルな経験が減少し“カラダ”の存在が薄くなってきていると言えます。「見取り稽古」「体で覚える」「肌で感じる」「手取り足取り」といった言葉は、目にすることも耳にすることも激減しています。情報は二次元よりは三次元の方が明らかに多様です。リアルでの経験はまさに“カラダ”の経験であり、到底自覚しきれないほどの情報を常にやり取りしています。カラダを通さずに学んだ内容は明らかに断片的で、偏向的でとても多様とは言えないのではないでしょうか。
このような“カラダ”で学ぶことの重要性を知ったのは、武術研究家の甲野善紀先生との出会いがきっかけでした。その後、甲野先生からの紹介で中国武術・韓氏意拳の光岡英稔先生やバランストレーナーの小関勲先生、古い時代の沖縄空手を伝える心道流空手道の岸田純先生といって錚々たる先生方に学ぶ機会を得て、それらをなんとか子どもたちに伝えていく事はできないかと思い、2013年に「バランスからだ塾」を立ち上げました。今では全国4教場でたくさんの子どもたちに通ってもらえるようになりました。しかしながら、通常のレッスンではやれることも限られてくるので、やりたくてもなかなか出来なかった様々な身体活動、たとえば火起こし、ナイフワーク、ロープワークといったアウトドア体験や、植物や動物、昆虫などを探しに行ったり、伝統的な道具の扱いや作り方などなど、学校や日常生活では味わうことが難しくなってきた身体活動を、子どもはもちろん、大人や親も巻き込んで、学校や地域と協力しながら「カラダで遊ぶ・学ぶ」機会を増やしていきたいという願いを叶えるために法人化するに至りました。
現在の教育システムでは先生の負担があまりにも大きすぎて、今の状況はまさに子どもと先生の共倒れ状態です。国の抜本的な教育システム改革は待ったなしの最重要課題だと思います。 しかし、国の改革を待っている暇はありません。
我々は今後、学校に行けない子、あるいは行かないことを選択した子が自主的に通えたり、学校帰りに自由に立ち寄れたり、何かしらのハンディキャップがあったり、不当な差別などつらい経験があったりする子も、垣根なくカラダで遊び、学べる機会や場を作っていきたいと考えております。そのためには皆様方のお力添えが必要です。 資金や物資はもちろんですが、場所のご提供や、告知、ボランティアスタッフ、行政や地域との橋 渡しなどなど、ご協力頂ける方はどうぞお声掛けください。みなさんとともにココロとカラダの創発 の場を作り上げていきたいと思っております。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
福島県出身。小学1年生から柔道、5年生からは地元に出来たリトルリーグに入団し、中学高校と野球漬け。甲子園出場することだけが夢だったが、試合に出ることもなく儚くもやぶれる。選手としてではなくサポートする立場になりたいとスポーツ科学科のある大学を受験するが不合格。親元を離れた環境で、自分を追い込みたいと、浪人生活を関東でおくることを決意し上京。
将来と世の中に迷い大学進学を断念しそうになった時期もありながら、2浪の末、何とか法政大学に合格。野球をやりたくて法政大学に入るも硬式野球部には入れず、軟式野球部に入部。3年生の秋から学生監督になるも創部以来2度目の東京六大学リーグ最下位に沈む。浪人時代に「自分とはなにか」「人生とはなにか」と悩んだことから、心理学を専攻するも、4年生になっても毎日学校に行かねばならないほど、野球とアルバイトの日々。
しかし、そのアルバイトが大きな学びに。一つは学習塾の講師。採用前に2泊3日で受けた研修は殆どが、学習塾グループ代表による人生学講義。その代表は、学生時代に城野宏(戦後、中国に残り地元の軍と手を結び、山西独立を掲げ毛沢東の中華人民解放軍と戦うも、捕虜となり中国で18年間監獄生活を送った。帰国後は執筆、講演活動。日本教育文化協会理事長も務めた)の本を読み、飛び込みで弟子にさせてもらい間近で学んだ経験を持つ。その研修は今でも自分の支えになっている。
もう一つはスパゲティー専門店。そのオーナーは元役者で、あの三國連太郎の弟子。三國連太郎の話には本当に恐れ入った。ある日、満足そうな顔で帰っていくお客さんを見ていたら、大学で心理学を学んでカウンセラーになるよりも、一所懸命作った料理を食べてもらうほうが人を元気にできるのではないかと思い、就職活動に疑問を持っていたこともあり、そのまま就職し料理人を目指した。しかしながら、とても充実した日々を送りながらも、スポーツにかかわっていたいという熱意は捨てきれず、料理人への道を断念。楽しすぎた料理人修行の日々に自ら別れを告げ、またも素浪人のような生活へ。
その後、日銭を稼ぐために浅草で観光人力車の俥夫をし、そのまま社員登用。浅草と鎌倉で観光人力車の現場監督の仕事をしていた頃、鎌倉で今の妻と出会い、結婚を機に広島市内にある八丁堀カイロの田中正弘・寿子先生に師事するため、2004年秋に広島へ。
広島県加計町(現安芸太田町)に生まれる。 まわりには水田・畑・目の前には太田川という自然に恵まれた環境で夏には川で泳ぎ、アユやウナギを食べて育つ。 幼いころから、農業や家事手伝い(というかやらざるを得ない感じ)当時からすでにしっかり者と評判だったらしい。 中学から短大までテニスに夢中。 卒業後はホテルに就職し、フロント係をしていたが、後にブライダル担当に。 ブライダルプロデューサーとして経験をつみ、数年後その腕をかわれたのか、キャラクターをかわれたのか上司に誘われて神奈川県鎌倉市にあるホテルのブライダル部門をたちあげを任されることになり上京。 鎌倉で夫に出会うも仕事、仕事、仕事に追われる毎日。寝る間を惜しんで呑むといった日々を送っていた。 そんな中、忙しさのせいか蝶形骨洞膿腫という病気が再発し入院、手術。 ブライダルの仕事は軌道にのり始めていたが、養生の必要もあり結婚退職をし広島へ戻る。
このたび、ココロとカラダの創発空間 – 遊 のアドヴァイザーを委任されました関根です。 代表の安田さんとは同郷の福島県出身で、安積高校の同窓にもあたります。 現代日本の学校と社会のさまざまな問題は、小学生のころから感じていたものでした。「こんなは ずではない」という思いが、今の自分を創ったとも言えます。 人間が自然の中で人間らしく生きにくい日本。世界でもトップクラスに自殺率が高く、世界でもトップクラスに幸福感が低く、少子化、高齢化率が高い日本。国の教育予算が先進国の中で突出して低く、保育園不足、教員不足、いじめ、学校格差、学歴差別など、問題は山積しています。子どもが幸せに生きられないと感じる社会で子どもを産み育てるのは難しい現実があります。世界で最も幸福度が低く自殺率も高い韓国が、少子化率もトップであるように。
文系の大学では算数、数学が大嫌いな学生が多くいますが、江戸時代には和算という数学が庶民の娯楽で、『塵劫記(じんごうき)』という数学の本がベストセラーになったりもしています。本来、人間は知的好奇心が旺盛で、本を読んだり学んだりすることは楽しい遊びなのですが、現在、世界で一番本を読まない大学生は、残念ながら日本の大学生です。学校教育によって、学ぶ楽しさを失い、苦痛しか感じられなくなると、大学に入ってからも、社会に出てからも、自ら学ぶ意欲は失われてしまいます。
「学ぶ」の語源はまねぶ、まねすること。「習う」の語源は慣れる、反復すること。日本でよく使われる「勉強」という漢字の言葉には、無理にやらされる、という意味しかありません。
スポーツ大国のように見える日本ですが、19歳以降の女性がほとんど運動しない国も日本がトップです。その結果、20代後半で階段が登れないほど筋肉が弱ってしまう人も増えています。学校体育がスポーツの楽しさより苦しさを植え付けている場合が多いのでしょう。
体育も音楽も図工も苦手で大きらいだったぼくが、今では大学の空手部や護身術サークルの顧問をし、いくつかの分野のトップアスリートの指導もしています。
大学で民族音楽の授業をしたり、音楽の教科書を書いたり、世界の坂本龍一とNHKでセッションしたりもしました。多摩美術大学で美術エリートの学生たちに絵の具の技法講座を開き、各地の美術館でさまざまなワークショップを開いたり。
高校までの自分ならとても信じられないような(親も信じない)ことになっていますが、だからこそ、学ぶことの楽しみから疎外された人の気持ちは実体験でよくわかります。進学校の落ちこぼれだったので、勉強ができない、しかたがわからないのも、身に染みてわかります。
ココロとカラダの創発空間 – 遊 が、人間にとって自然な、地域に根差し、世界に開かれた「もうひとつの学校」「もうひとつの公民館」あるいは「広場」として、心と身体と、本来の楽しい学びを取り戻したい人たちの、よりどころになることを期待しています。
2023年5月19日
「道草、寄り道、遠回り」は遊主催のやすたまさゆきがパーソナリティを務めるラジオ番組です。
番組のコンセプトは一言で言えば「価値観の転換」
出来る、分かる、上手い、エリート、成功、強い、早い、学歴、成績、売上、フォロワー数などなどで評価される現代社会。
規格的な価値基準だけで判断され、白い目で見られてきた、異端、落ちこぼれ、はみ出し者、できない、使えない、負け犬、穀潰し、じゃない方、2軍などなどのレッテルを貼られてきた人・事・物にこそ、これからの時代には必要で、価値があるのではないかと考えます。
そのようなメインストリートではない人・事・物にスポットを当て、ゲストの方、リスナーさんとみんなで、新たな時代に新たな価値観を見出していく番組です!
遊がメディアで取り上げて頂いた情報を掲載しています。
2019/7/26 | 古(いにしえ)の武術に学ぶ無意識のちから 著:甲野 善紀 (著), 前野 隆司 | |
2017 | 広テレ テレビ派!「からだweek」 | |
2016/10/19 | ヒモトレ革命 繫がるカラダ 動けるカラダ 著:小関勲、甲野善紀 | |
2016/10/15 | ひもを巻くだけで体が変わる! 痛みが消える! | |
2015 | ホームテレビ Jステーション |