ヒトというものは

 明けましておめでとうございますとは言えない今年の幕開けになってしまいました。この場を借りて能登半島地震でお亡くなりになられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災者の皆様方には心よりお見舞い申し上げます。また、現地で復旧・支援活動をされている皆様方におかれましては、無理をしないでと言ってもそれは無理な話で、せめてお身体に気をつけて活動なさって下さい。

 熊本地震から8年、東日本大震災からは13年、阪神淡路大震災からは29年という時間が経ちますが、直接被害に遭われた方にとってはいつまで経っても忘れられない一方、そうではない人々にとっては、どれだけひどいことが起きても心のどこかでは「まさかここでは起きないだろう」「私はそうはならないだろう」というふうに考えてしまっているようなんです。これは性格とかの問題ではなく脳の進化に関係があるという研究があるそうです。つまり、ヒトの記憶装置は出来事をそのままにしまい込むのではなく、将来の展望に沿って消去されたり、付け加えられたりして、自分が生きるのに都合よく書き換えて残すように変化していったようなんです。そうすることであらゆる困難を生き延び、ここまで数を増やすことができたと考察されています。このような楽観的思考でなければヒトは必ず死ぬという事実を知りながら日々を生きていくことはできないということです。まあ、僕の場合、楽観的過ぎると妻にしょっちゅう戒められておりますが。

 この楽観的思考のタガが外れてしまったものにギャンブル依存症があります。同じことを繰り返しているだけなのに、どんなに負けが込んでも「次こそは」という希望を見出してやり続けてしまう。スポーツや囲碁将棋の世界だったら、負けても負けても立ち向かう姿は賞賛されますがね。そうはいっても元日の地震、2日には飛行機事故とめったに起きないような事故が正月早々立て続けに起きたことで「明日はわが身」という言葉があるように、少しは「そんなことは起きないだろう」という幻想からは目を覚まさずにはいられない年明けになりました。とは言っても「喉元すぎれば・・・」という言葉もあるように、薄れてくるのもこれまたヒトの性。  

 それはそうと、毎年年末に今年の漢字なんてものが発表されますね。清水寺で書きますが、僕はその時期に今年の漢字じゃなくて、来年の漢字一字を決めるんです。そう先に決めちゃう。一年のテーマみたいなものを。ちなみに今年は「一」。マイナスじゃないですよ。ひふみの一。初心に返る。一つ一つ、お一人お一人、一日一日を大切にする。一期一会。僕はいくつかの武術を自己鍛錬のために学んでまして、一挙手一投足。中国武術では一形一意というのもありまして、なもんで「一」というテーマにしてみました。でもって、今年の年末には、この決意さえも毎年のように「あれ、今年の漢字は何だったっけ?」とならないよう、喉元を過ぎても忘れずにいられるのか。それとも僕の記憶装置が別のものに置き換えてしまうのか。「いやいや今年こそはそんなことは起きないだろう」と楽観的に考えている僕はやっぱりヒトなんだな。ということで、本年もどうぞ宜しくお願い致します。

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