遅ればせながら、R2.2.2に行いました小関先生の講習会の様子を報告させて頂きます。
【午前の部】
今回もレギュラー組はもちろん、初めての方(僧侶、保育園の園長先生、言語聴覚士などなど今回もバラエティー豊か!)にも多くご参加頂きました!
何かと何かのバランスじゃなくて、分断できないからバランスであって、○○のためにバランスを取るんじゃなくて、すでにあるのがバランスなんだよなぁと、改めて感じ入りました。
「肩こりが悪者ではなく、それはそれで何かのバランスをとっているからそうなってるんじゃないですかね」と小関先生。
何かにつけて、善悪をつけたがる現代人。悪と決めつけ、無理に抑えつけたりするとモグラ叩きのように他の何かが顔を出したり。
バランスは画一的ではなく、それぞれその時々のバランスがあって、それは構造的にはおかしく見えても、全体の機能上のバランスがあるのかもしれないなぁと。
筋力、持久力、俊敏性、柔軟性と分けてトレーニングするとどうしてもどこか歪な感じが残るもの。バランストレーニングやヒモトレはそれ以前の根源的なモヤモヤとした形にならない言葉にならない何かにアプローチしているものなのだと。
今回ご参加できなかった方も是非一度小関先生の講習会に参加してみてはいかがでしょうか。
小関先生、ご参加下さった皆様、本当にありがとうございました。
【午後の部】
バランス&ヒモトレ講習会の後、午後には韓氏意拳初級講習会を行いました。
こちらも隣の人と手が当たってしまうほど多くの方にご参加頂きました。
韓氏意拳という中国の武術はこれまたなんとも言いようがない何かに注目することが求められるもので、昨今よく耳にする「見える化」「費用対効果」「効率性」などとは全く無縁の取り組み。
「毎回が、その瞬間が未知との遭遇ですよ」という先生の言葉は今までも何度か聞いてきたはずなのに、またしても知っている何かや経験してきた何かをしようとしてしまう自分と嫌というほど向き合わせられ、その都度、既知へ向かおうとしてしまう私を未知の方へと誘って下さいました。
「やろうとすることに保険をかけずに最前線に居続けて下さい」と。
「教外別伝」「不立文字」という禅の言葉を引用されながら、「理解や秩序からではなく、分けずに無秩序のままだから整っていくのですよ」と。
私たちが知らず知らずのうちにこびり付いてしまっている「ちゃんとしなきゃ」という誰かに評価される事を前提としてしまっている思考の癖が浮き彫りにされ、それが体に現れてしまう。そうではなくて、「思考や意識以前の、意そのものの表現なんですよ」とも。
これが武術なのかと思われるのも当然かもしれませんが、逆にそうでなくては思いもよらない出来事や、経験した事もない事態に遭遇した時にはすでに後手となってしまうのかもしれません。この前提があった上での稽古でないと、エクササイズと何の変わりもない単なる身体運動になってしまうような気がします。
そのため、韓氏意拳ではどの先生方もその部分を、いやその部分のみを求められるのだと思います。
どうです?武術や武道など全く私には関係ないわと思っているあなたもちょっと興味が湧いてきませんか?
韓氏意拳はこのようなこの先どのような時代になっていくのか見当もつかない時代だからこそ、必要なものを見させてくれる、現代人にはもってこいのものだと思いませんか?
韓氏意拳は11名いらっしゃる先生方が全国各地で講習会をされているので、ホームページでチェックhttp://hsyq-j.blogspot.com/?m=1してみてください。お住まいの近くでもやっているかもしれませんよ。
小関先生、ご参加下さった皆様、本当にありがとうございました!