2025帰省の旅 東京編 後編

神田古書街でお目当ての本と金ちゃんへのお土産を手に入れた僕は御茶ノ水駅へ来た道を戻る。やはり、スパイスの香りが僕を誘う。十分に神田でカレーを食べる時間はあったのだが、その誘いに断りを入れ、僕は次の目的地へ行くことを優先させた。

次の目的地は最終目的地の阿佐ヶ谷を通り越して、吉祥寺だ。
御茶ノ水駅で中央線に乗る。乗ってしまったのが中央快速だったため、中野駅で一旦下車し、各駅停車に乗り換える。大荷物の僕は車両の角に立っているとベビーカーを押した若いお母さんが乗車してきた。ベビーカーには2歳くらいの男の子が乗っていた。
目が合う。
僕が思わずにやけると、その子が恥ずかしそうに顔を伏せる。なんてことを何度も繰り返しているうちに、僕もだんだんその気になってきて、周りの人に気づかれないように変顔をしたりしてみる。その子のリアクションもだんだん大きくなり、声も出る。
さすがにお母さんも気づいたようで「○○くん、うれしいねぇ」と声をかける。いやいやうれしいのは僕のほうです。
そのうちベビーカーのT字になっているシートベルトから抜け出し、背もたれに腹ばいで顔を伏せる。。「どうしたの?緊張するの?」とからかうような調子でお母さんが言う。
「キンチョーする」と、はにかみながら男の子が言う。
僕はその子が言葉が話せるとは思っていなかった自分に気づく。
それから吉祥寺駅まで「キンチョーする」をたくさん聞かせてもらった。このまま八王子まで行ってもいいと思えるくらい、僕は彼との無言の会話が楽しかった。
吉祥寺駅で彼と彼のお母さんにバイバイをし、下車した。

そういえば、まだなぜ吉祥寺なのかは話していなかった。吉祥寺には作家の落合恵子さんが主宰する「クレヨンハウス」があるからだ。46年間表参道にあったが、2年前に吉祥寺に移転されたと聞いていた。クレヨンハウスは絵本の出版社としてご存じの方も多いと思うが、絵本のみならず、木のおもちゃ、有機野菜やオーガニック商品なども多く取り扱って約半世紀。オーガニックショップのパイオニア的存在だ。ここは「バランスからだ塾のおっちゃん」としてではなく、「千年美容 玄」の一員として見に来た。

店内で化粧品コーナーをうろうろ見てまわる。大荷物を抱えたおっさんが一人でオーガニック化粧品を見ている。自分の姿を想像すると、変な人だと思われないかという変な感情が急に湧き出した。自分は怪しい人ではないですよと知ってもらうためにも、こちらから店員さんに声をかけた。はじめは「千年美容 玄」のことを話すつもりはなかったが、話の流れでそうなった。いや、僕の中では最初からそうするつもりでいたのかもしれない。その店員さんも興味を持って下さり、改めてメールさせてもらうことにした。

ここまできたんだからと、絵本とおもちゃ売り場になっている2階へ移動する。我が子はすでに大学生と高校生。絵本も読まなくなり十数年経つが、やはり絵本やおもちゃは見るだけでもワクワクしてくる。「これうちにもある!」「この本は何度読まされたことか」などなど一人思いながら見て回る。すると先日天に召された詩人の谷川俊太郎さんの特設コーナーがあった。そう、谷川さんはあの「スイミー」の訳をされたり、絵本の原作者としてクレヨンハウスからも多くの絵本を出されていたのだ。
あとで詳しく書くが、ここでも谷川俊太郎さんと出会うとは、僕は超身勝手ながら親近感を抱く。

クレヨンハウスを出た僕は、郡山から東京までの新幹線でも、甘酒の薫りが漂っていた神田明神でも、歩き疲れた古書街でも一滴もお酒の類は口にすることなく(これは遠出をした僕にとってはかなり珍しいことなのだ!)ここまで来ていたが、ふと一杯やりたくなった。でも、それはお店に入って腰を据えてという感じではなかった。
「そうだ、井の頭公園で一杯やろう」
コンビニに入り、まずは缶ビールを手にとる。つまみはどうする?広島を出るときに新幹線の車内でと思い買っていた牡蠣の干物がバッグの中に入っていることを思い出し、350mlの缶ビールを1本だけを買い、店を出ると急に強い北風が吹き出した。缶ビールの冷たさが心地良いものから不快なものに変わる。と思ったら、雹混じりの冷たい雨が降り出した。
「マジか」思わず口から出た。
空を見上げると青空も見える。すぐに止むだろうとそのまま井の頭公園へ入る。どうせ呑むなら気持ちよく呑みたい。雨が当たらなそうなベンチを探すも、足が向くようなベンチはない。ほぼ一周し、吉祥寺駅側の出口近くでやっとちょうどいい場所を見つけ、プルタブを開けた。
昼飯も食わず、歩きまわっていた体には冷たいビールがいい感じで染みる。

10分くらいかけてゆっくり飲み干し、最終目的地の阿佐ヶ谷へ向かうべく、吉祥寺駅へ歩き出す。
吉祥寺駅から阿佐ヶ谷駅まで中央線で10分足らず。僕が大学2年生の途中から6年間過ごした街、阿佐ヶ谷へ着いた。約束の時間まで約20分早い。僕がかつて働いていた「スパゲティ 松下雄二」(今は「松下雄二屋」)まではゆっくり歩いても3分。店は休憩時間はなく通しで営業しているはずだから、行けば入れると思うのだが、きっと松ちゃんの休憩時間だから早めに行くことは避けたい。
阿佐ヶ谷駅南口のシンボルにもなっている30mは優に超えるであろうメタセコイア(和名 アケボノスギ)の巨木には正月を迎えてもまだイルミネーションが施されている。そうそう、阿佐ヶ谷に住んでいた時も同じことを思っていたのを思い出す。その巨木の枝がまるで屋根の庇のように頭上にあるベンチに腰を掛けあたりを見渡す。
あそこの本屋はまだある。あ、でも名前が違ってる。
交番は変わらない。何度か職質されたことがある。
パールセンターのアーケードも変わってない。
変わっていないことが目に付くということは変わっているところのほうが多いということか。

そんなことを思いながら過ごす。
そろそろどうかと左手首を見るのは何度目か。
G-SHOCKのデジタルの文字が「17:28」と表示されていた。
もういいだろう。
阿佐ヶ谷駅南口のシンボル、メタセコイアの巨木の下から、こちらも阿佐ヶ谷駅南口の象徴的なアーケード商店街、パールセンターへと向かう。
パールセンターに入ると、ほとんどの店は入れ替わっていた。
そりゃそうか。
「蒲重蒲鉾店」がそのままだったのが、妙に嬉しい。
そのかまぼこ屋さんを左に曲がると、今は「松下雄二屋」となった最終目的地「スパゲティ 松下雄二」が、僕が初めて見つけた26年前とほとんど同じ佇まいでそこにあった。

後から知ったことだが、僕がこの店を見つけたのは、この店がオープンして半年が過ぎた頃。開店当初はかなり忙しかったのに、段々と数字も伸び悩み、松ちゃんが柄にもなく悩み始めていた時期だったようだ。
以前と少し色が変わった木のドアを手前に引く。
キッチンに2人、お客様が1組。
「松ちゃんに会いに来たものですが」と恐る恐る言う。
すると、2人のうちスタンバイ(主に調理する人のサポート役)の方がキッチンから出てきて
「以前、こちらで働かれていた方ですか?」
「あ、はい」
「少々お待ち下さい。すぐ降りてくると思います」
と言って、内線で松ちゃんを呼ぶ。
ここから松ちゃんが2階から降りてくるまでは郡山〜東京間よりも長く感じた。
当時、毎日何度も登り降りした階段を松ちゃんが降りてきた。
僕は少々おでこが広くなったが、松ちゃんは全く変わっていない。
相変わらず、奥田民生とブラッド・ピットのミックスといった感じでカッコいい。
「ワインでいいか?」
断る理由はない。いや、この瞬間のためにここに来たのだ。
店ではいつのころからか無農薬で栽培されたブドウのみを使う”自然派ワイン”だけを提供することにしていたようだ。僕は米を作っているが、僕も化学肥料や農薬は使わない。そして、そのお米を原料に妻は天然素材のみの基礎化粧品を完全手作りで作っている。だから、そのワインが出来るまで、どれくらい大変な思いをしているのかは痛いほどよくわかる。
白を注いでくれた。
グラスを鼻に近づける。しかし、これは正しい飲み方とかそういう類のものではなく、ただ食べ物でもお酒でも匂いを嗅ぐのが好きだからだ。ワイン通でもなんでもない僕は、しゃれた感想なんて言えやしない。
純粋にいい匂いで、うまい。
軽いあいさつ程度の話をし終えて、松ちゃんが
「『嫌われた監督』っていう落合さんについて書かれた本なんだけど、読んだことある?」と聞いてきた。
僕が知っている松ちゃんは「本を読むくらいなら俺の話を聞け」というタイプだったが、ここ数年、よく本を読むようになったというのはSNSで知っていた。
「タイトルは知ってますが、まだ読んだことはないです」と言ったら、本に書かれている落合さんが中日の監督をやっていたころのエピソードを話してくれた。
僕はずっと野球少年だったし、落合さんは選手としても、監督としても尊敬する人の一人だったのだが、知らなかったことばかり。
いやいや、松ちゃん、あとは自分で買って読むからもう話さないでとは言えずに聞いていた。
他のお客さんがちらほら入りはじめる。
「まさちゃん、ゆっくり呑んでて」と言い残し、松ちゃんは席を外した。
えー、どれどれ。僕はスマホで『嫌われた監督』と検索し、カートに入れ、まさに購入手続きに進もうとした瞬間だった。
ボン。
僕の前にブックカバーがかけられた厚めの文庫本が投げ置かれた。
見上げると松ちゃんが
「読みなよ」
えー、貸してくれるんだ。ありがたい。
「今、買ってきた。あげるよ」
マジか! 

ほんの数分だったはず。松ちゃんのこういうところがカッコよすぎる!
僕は2杯めのワインを片手に、たった今、松ちゃんが(おそらく小走りで、名前が変わっていた阿佐ヶ谷駅南口にあるあの本屋で)わざわざ買って来てくれた『嫌われた監督』のブックカバーがついた表紙をめくった。
そこからは何度、松ちゃんにワインを注いでもらっただろうか。途中、日本酒も挟んだ。

そのどちらもが原料にもこだわり、昔ながらの製法を守っている本物のお酒だった。酒は好きだが、決して強くはない僕でも何杯呑んでも気分が悪くなったりしない。ひたすらに口も体も喜ぶ酒だ。

松ちゃんと色々話した。さっきの本のこと。僕がここで働いていたころのこと。東日本大震災が起きた時のこと。コロナ騒動のころのこと。開業27年目のお店にはいろんなことが起き、それでもそのたびにお店はよくなっていったという。

そうそう、少し前に雑誌、週刊女性に『詩人・谷川俊太郎が20年以上通った行きつけ店の窮地を救った「魔法の言葉」』という記事が掲載されていた。(ウェブ版はこちら:https://www.jprime.jp/articles/-/34907?display=b

僕が働いていたころ、アルバイトの女の子が「あの方、谷川俊太郎さんですよね?」と僕にこっそり教えてくれた。それで僕は松っちゃんに「谷川俊太郎さんが来られています」とお伝えしたのを覚えている。
僕は数回しか拝見しなかったが、それ以降もずっと通い続けてくださっていたのだ。
お客さんが少ない夕方の時間帯にお一人で静かに来られ、静かに帰られていく。そのスタイルは僕がお店を去ってからも同じだったらしい。
その谷川俊太郎さんが天に召されたのは去年の11月13日。僕はすぐに松っちゃんに連絡を入れた。
何度ピンチになってもここまでお店を続けてこれたのは「谷川俊太郎さんが通ってくれている店なんだ」と思い続けていたからかなと、話してくれた。(その後、僕が広島に戻った翌々日には谷川俊太郎さんの息子さんと娘さんがご挨拶にこられたらしい)
松ちゃんは僕と呑みながら話していても、店内に目を配っていて、お客さんと話したり、席をご案内したり、スタッフからの質問に答えたりしていた。それも僕にはまったく気を使わせない程度に。
それを松ちゃんに言うと、「やっぱり、役者をやっていたのが大きいんじゃないか」と答えてくれた。そう、松ちゃんはかつて役者だった。それも役者なら誰でも憧れるあの三國連太郎さんの最初で最後の弟子なのだ。三國さんとの話も当時から色々聞いていたが、今回初めて聞く話もあった。プロ中のプロってこういう人を言うんだろうなと、圧倒された。
そろそろ閉店時間の22時だ。
この日はどうにでもできるように宿を手配していなかった。
松ちゃんの自宅に泊めていただくことになった。奥様からすれば、今の今から人を泊めるなんて本当に迷惑な話で、本当に申し訳なく思ったが、この時間が続くことの嬉しさのほうが勝ってしまった。
タクシーで20分くらいだっただろうか、松ちゃんの家に着く。
奥様は2度目、金ちゃんとははじめましてだった。金ちゃんは明日が3学期の始業式だという。やっぱり、申し訳ない。と言いつつ、またワインを頂く。
僕が子どもの頃、変なおじさんが急に泊まりにきたっていう場合、腹を立ててすぐ部屋へ向かうか、変なテンションになり、大人たちと一緒に過ごすかの2通りあった。今日の金ちゃんはありがたいことに後者だった。
僕と松ちゃん、奥さん、金ちゃんの4人でたくさん話した。ひょんなことで、ヒモトレもやってもらい、1人1本づつ欲しいということになったりもした。
昨年の5月にお父様が逝去されていたことは知っていた。僕が働いていた頃は何度もお会いしていたので、御位牌に手を合わさせていただいた。

翌朝、普段のクセか5時には目が覚めてしまう。2度寝をしようにもどうにもこうにも目が冴えてしまっている。僕は『嫌われた監督』を読むことにした。
金ちゃんの声でハッとするともう七時を過ぎていた。
金ちゃんはヒモトレスピンドルをお腹に巻いて3学期の始業式に向かった。
それから松ちゃんが出勤するまで、またたくさんの話をした。もちろんワインではなく、コーヒーをお供に。
松ちゃんはおもむろに一枚の茶封筒をもってきた。
それは松ちゃんが開業して半年が過ぎた頃、最初の波が去ってしまい、客足が伸びなかった時期があったらしい。松ちゃんは柄にもなく悩んでいたようで、その姿を見たお父様が、松ちゃんの卒業アルバムを引っ張り出し、片っ端から「息子が店を出しました。よかったら食べに行ってあげて下さい」という趣旨の手紙を送っていたというのだ。松ちゃんがそれを知ったのも数年前に何十年ぶりかのクラス会で同級生が教えてくれたからだという。そのことを生前お父様に言ったら「そんなこと知らない」の一点張りだったと、松ちゃんは天井を見上げ、溢れてくるものがこぼれ落ちないようにしながら僕に話してくれた。

僕は末っ子で父親が38歳の時の子なので、松ちゃんのお父様と僕の父親は2歳しか変わらない。僕の父親は夏に帰った時は一緒にドライブにも行けたが、今回はほとんどベッドの上に横になっていて、会話らしい会話はできなかった。最初の夜に一口だけ一緒にお酒を呑んでくれただけでも精一杯の出迎えだったのかもしれない。
かつてYAMAHAのSRで通勤していた松ちゃん。きょうは遠回りをして新宿駅まで一緒に行ってくれた。京王新宿駅からJR新宿駅へ入る。松ちゃんは八王子方面の中央線乗り場への階段を登る。その姿が見えなくなってから、僕は一つお辞儀をし、東京方面の中央線乗り場へと向かった。新宿駅の空気でさえ少し清々しく感じた。

終わり

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